永井隆
(1908~1951)
島根県松江市出身。長崎医科大学で放射線医学を研究していた医学博士です。1945年当時、白血病で余命3年の診断を受けていましたが、さらに8月9日の原爆で自身も被災しながら救護活動に尽力し、戦後も病床の執筆活動で平和を訴え続けました。
「平和を祈る者は、一本の針をも隠し持っていてはならぬ」
永井隆記念館でこの言葉にはじめて出会ったとき、衝撃を受けました。
いま、これほどきっぱりとした平和論を語れるひとがほかにいるでしょうか。
永井博士の代表作『長崎の鐘』は、1945年8月9日当時、勤務していた病院での実体験をもとに執筆された「一つの人間的手記」です。GHQの検閲に阻まれ、出版実現まで3年がかかったというその内容は、いまの読者にも届く言葉で、原爆の実相をありありと伝えてくれます。以下に、印象的な場面を引用します。
<その直前>
さるすべりの花が真っ赤だ。夾竹桃の花も真っ赤だ。カンナはまったく血の色だ。病院の玄関を待機所にさだめられている担架隊の医専一年生たちが、この赤い花の陰の防空壕にひそんで、いざという時を待ちかまえている。
冒頭、上記のように目にも鮮やかに描写された風景は、一発の爆弾によって、消え去ってしまいます。
<爆撃直後の情景>
これは一体どうしたというのだ。つい今の今先まで、この窓の下に紫の浪と連なっていた坂本町、岩川町、浜口町はどこへ消えたのか? 白く輝く煙をあげていた工場はないではないか? あの湧き上がる青葉に埋まっていた稲佐山は赤ちゃけた岩山と変わっているではないか? 夏の緑という緑は木の葉、草の葉一枚残らず姿を消しているではないか? ああ地球は裸になってしまった!
迫り来る炎、おびただしい負傷者を前に、徒手空拳で救護にあたる永井博士。「この時ほど自分という者の無力を悟ったことはない。この目の前に苦しみつつ死にゆく人を助ける術はどうしてもないものか」と、無力感も吐露されています。
そして翌日、その爆弾の正体を知った瞬間の衝撃は、放射線医学の研究者として腑に落ちる一方で、深い嘆きをもたらすのでした。
終戦を迎え、復員してきた青年たちが永井博士のもとを訪れます。「残念でたまりまっせん。どうしてもこの仇は返さにゃならん」と訴える彼らに、永井博士はこう語ります。
<壕舎の客>
実戦を知らぬ将校が自己の名誉心を満足さすために、何も知らない部下を叱咤して戦場に駆り立てる傾向がありはしないでしょうか。実戦というものは残酷なものですよ。戦争文学を寝ころんで読んでおれば美しく、勇しくて、俺も一つ出てみようかという気になりますがね。実際は違います。たまたま真実を写生したものは、検閲にかかって発表を止められてきたのです。義経の戦には絵があります。乃木大将には詩があります。しかし原子爆弾のどこに美がありましたろう。あの日あの時、この地にひろげられた地獄の姿というものを、君たちが一目でも見なさったなら、きっと戦争をもう一度やるなどという馬鹿馬鹿しい気を起こさぬにちがいない。
2024年現在、日本では殺傷能力のある武器の輸出が、国会での議論もなされないまま解禁されました。「反撃能力」のある武器を購入する「防衛費」の増額も止まりません。
戦後、喜びとともに迎えられ、定着したはずの「平和主義」が、名ばかりの骨抜きにされようとしているいまこそ、原爆を体験した医師・研究者として遺された永井博士の言葉をひもとき、かえりみるときではないでしょうか。
永井博士は、『平和塔』にこんな一節も遺しています。
私たちは戦争を棄てた。(中略)戦争を棄てた、といったんはっきり言いきった日本人の一人一人が、どんなことが起こっても、自分の自由意志を殺さず、「戦争を棄てたから絶対にやらない」と言い張っておれば、戦争にまきこまれはしない。
『永井隆全集』第1巻「平和塔」より
長崎には、「永井千本桜」と呼ばれる桜があります。永井博士が「原子野をふたたび花咲く丘に」との願いから、印税でソメイヨシノを1200本購入し、地元の小学校や教会に植えたものです。そのひとつの並木道は、いまも敬愛をこめて「永井坂」と呼ばれています。
「如己愛人(己のごとく人を愛せよ)」の言葉を体現したひとが遺してくれた言葉をかみしめながら、この桜の木も、これからPeace Treeでご紹介していきたいと思っています。
(2024年7月)
おすすめの本と映画とスポット
『この子を残して』
青空文庫
原爆で妻を失った永井博士が、母を亡くした子どもたちに向けて綴った作品です。父である自分も死を前にして「美しい思い出をのこしてやりたい」と祈る思いに打たれます。
『この子を残して』
監督/木下恵介
1983年公開の映画です。『長崎の鐘』に沿った展開で家族の姿が描かれます。ラストで原爆投下直後の惨状が圧倒的にリアルな画面で映し出さ れます。峠三吉の詩「にんげんをかえせ」原民喜の詩「水ヲ下サイ」の合唱とともに胸に迫ってきます。
永井隆記念館・如己堂
長崎市
永井隆博士の生涯が資料とともに展示・紹介されています。晩年をすごした家「如己堂」も隣にあり、外から見学することができます。