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平和と植物の情報サイト
広島の被爆樹木
1945年8月6日、原子爆弾の爆風と熱線を浴びて傷つきながらも、戦後に再び芽吹いた木々は、人々を勇気づけ、平和のシンボルとなりました。広島市では爆心地から約2km以内の159本が被爆樹木として登録されています。2世の木も各地にひろがり、被爆地からのメッセージを伝えています。
長崎の被爆樹木
1945年8月9日、長崎市に落とされた原子爆弾に耐えて、いまも緑をたたえる木が50本あり、被爆の実相を伝える被爆樹木として大切にされています。爆心地近くで「一本柱」となった鳥居とともに 知られる山王神社の被爆クスノキは、種から育てられた2世が各地に植えられています。
里帰り桜
1912年、日本からアメリカ合衆国ワシントンにおくられた桜が、戦後に友好の証として日本に帰ってきました。「日米友好の桜」「シドモア桜」「咢堂桜」「高峰桜」など、植えられた各地の愛称で親しまれています。全国MAPでご紹介していますので、ぜひお近くの里帰り桜をさがしてみてください。
陽光桜
戦争で多数の教え子を亡くした愛媛の元教員・高岡正明さんが、鎮魂と世界平和を願って生み出した桜です。教え子たちが亡くなった先でも育てられるようにと開発されたため、寒さにも暑さにも強く、世界各国におくられて色鮮やかな花を咲かせています。
永井千本桜
長崎の原爆投下で、自身も被爆しながら医師として救護活動と原爆研究を続けた永井隆博士ゆかりの桜です。「原子野を花咲く丘に」と、著書の印税で購入された桜の苗木1200本が、地元の小学校や浦上天主堂などに植樹されました。
嘉代子桜・親子桜
学徒動員中に被爆して亡くなった当時15歳の女子学生をしのんで、長崎市立城山小学校にソメイヨシノの木が植えられました。現在も校庭で咲き誇るこの桜の苗木は「嘉代子桜・親子桜」という名前で、北九州市など各地に植樹されています。
友好の花水木
日本から寄贈された桜の返礼として、1915年にアメリカから花水木がおくられました。東京都立園芸高校ではいまも当時の原木が大切にされています。2012年、桜の寄贈100周年を記念して花水木が再びアメリカから日本におくられ、各地に植樹されています。
*画像準備中のものは、これから訪ねたいPeace Treeです