原民喜
(1905~1951)
原爆体験を描いた「夏の花」で知られる広島市出身の作家です。中学生のときから詩作を始め、慶應義塾大学を卒業後、同人誌などをとおして作品を発表します。献身的に創作活動を支えた妻を病で失い、疎開した故郷で被爆。その忘れがたい記憶をもとに、戦後の短い後半生で数々の名作を残しました。
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日本文学史上における「夏の花」の希有な価値は、語るまでもありません。本サイトでご紹介したいのは、原民喜が「永遠のみどり」の詩に凝縮されているとおり、緑を愛する作家だったこと。そしてその作品が、妻を失い、原爆に遭って生きのびた「生の深み」に堪えて生み出され、希望と祈りを託したものだったということです。
詩集には、こんな作品があります。
誰も居てはいけない
そして樹がなけらねば
さうでなけれねば
どうして私がこの寂しい心を
愛でられようか
「昨日の雨」より
青空に照りかがやく樹がある
かがやく緑に心かがやく
海の近いしるしには
空がとろりと潤んでゐる
「千葉海岸の詩・海の小品」より
木々にこのように心を寄せる作家が、故郷で原爆に遭い、無数の死と焼け野原を目にして、どれほど大きな衝撃を受けたことか、想像に余りあります。
それでも、作家としての自覚は彼をその使命に駆り立てます。『原爆被災時のノート』には、「廃墟から」「夏の花」などの作品執筆のもとになった当時の思いが記されていました。
我ハ奇蹟的ニ無傷
ナリシモ コハ今後生キノビテ
コノ有様ヲツタヘヨト天ノ命
ナランカ。サハレ、仕事ハ多カルベシ。
この使命感のとおり、戦後次々に作品を発表していきます。
『原爆小景』におさめられた「焼ケタ樹木ハ」も、そのひとつです。
けれども、戦災の傷は大きく、その胸には常に無数の死者の嘆きが響いていました。以下は、「鎮魂歌」からの引用です。
生きてゆくことができるのかしらと僕は星空にむかって訊ねてみた。自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。僕を生かしておいてくれるのはお前たちの嘆きだ。僕を歩かせてゆくのも死んだ人たちの嘆きだ。お前たちは星だった。お前たちは花だった。久しい久しい昔から僕が知っているものだった。
絶望とすれすれの隣り合わせで生きながら、それでも原民喜は、作品に託して希望を綴りました。それは、木々と同じように、焼け野原からも再び芽吹いて空に向かう、生への憧れと願いです。
たしかに僕の胸は無限の青空のようだ。たしかに僕の胸は無限に突進んで行けそうだ。僕をとりまく世界が割れていて、僕のいる世界が悲惨で、僕を圧倒し僕を破滅に導こうとしても、僕は……。僕は生きて行きたい。僕は生きて行けそうだ。僕は……。そうだ、僕はなりたい、もっともっと違うものに、もっともっと大きなものに……。
死者への呼びかけと、自分への激励をもって、「鎮魂歌」は、次のように終わります。
嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ。還るところを失った僕をつらぬけ。突き離された世界の僕をつらぬけ。
明日、太陽は再びのぼり花々は地に咲きあふれ、明日、小鳥たちは晴れやかに囀(さえず)るだろう。地よ、地よ、つねに美しく感動に満ちあふれよ。明日、僕は感動をもってそこを通りすぎるだろう。
花々の咲きあふれるうつくしい世界を最後まで夢みていた作家は、
けれども、1951年3月13日夜、遺書をのこして自ら命を絶ちました。
15日、作家の死を伝える中国新聞に同時掲載された詩が、生前に新聞社に送っていた「永遠のみどり」でした。
梯久美子著『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)にて、戦後に作家と交流のあった女性との面会のエピソードが紹介されています。その死をどう思うか、という梯氏の問いに対する彼女の答えに、すくわれる思いがしました。作家の苦しい晩年にも、あたたかな「特別な日々」と、そのまま受けとめてくれる理解者の存在が、たしかにあったのだと。「永遠のみどり」はきっと、その中で実を結んだからこそ、いまもかがやきをつたえてくれるのでしょう。
原民喜の作品は、青空文庫でも読むことができます。
植物を愛した作家・詩人の一人としても、ぜひお手に取っていただけたらと思います。
(2024年7月)
おすすめの本とスポット
『原民喜全詩集』
(岩波文庫)
「原爆小景」のほかにも、亡き妻への思い、月と星、木々と空、海と波などをうたった作品が多数おさめられています。
被爆の実相を伝える「夏の花」の作家としてはもちろん、「永遠のみどり」をのこした詩人としての姿を知るために、巻末の若松英輔氏の解説もぜひ、合わせて読みたい一冊です。
『幼年画』
(サウダージ・ブックス)
広島で原爆に遭遇する前に作家自身がまとめた初期の作品集。2015年にはじめて単行本化されました。「くるくる、くるめきながら流れる」ような少年の日々の出来事が、細やかな描写で綴られています。大切な記憶をそっと閉じこめたような装画・装丁の美しさもあいまって、現代の読者にもふしぎな懐かしさが呼び起こされます。
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原爆ドーム前の広場に詩碑が建てられています。亡くなる3か月ほど前に手紙で書き送ったという「一輪の花の幻」でおわる詩が刻まれています。